【歴史的証言・最終章】Ruputerからの伏線回収、電池の限界、そして「国」と「世界規格」を動かした究極のワイヤレス給電へ

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事【歴史的証言・ノバルス起業編 第4弾】では、ノバルス(Novars)の中でリモコンの電流ハックや単一LTE-M電池という二大ブレイクスルーが実を結ぶ裏で、私自身がバックオフィス業務や無数のアポへの対応に忙殺され、エンジニアとして完全に燃え尽きかけていた当時のリアルな苦悩をお話ししました。
今回は、この「歴史的証言シリーズ」の正真正銘の最終章(完結編)となります。デジタルとアナログの境界線をハックし続けた日々の結末と、私が人生のすべてを賭けて次のステージへと進むことになった「究極の次世代テクノロジー」との運命の出会いをお届けします。

1. 電池交換という「絶対に超えられない壁」

ノバルスで数々の魅力的な実証実験(PoC)の案件を重ねていくうちに、私はハードウェアとしての「絶対に超えられない本質的な壁」にぶつかっていました。
高齢者向けのGPS搭載のステッキ(杖)や歩行器などを提供しようとすると、どれほど優れたシステムを作っても、「いずれは必ず誰かが電池を交換しなければならない」という問題が、サービス上の致命的なネックとして重くのしかかってきたのです。
「どれだけソフトを磨いても、電池という物理的なエネルギーの束縛から解放されない限り、真のIoTの世界は来ないのではないか……」
そんな限界に絶望し、日々の雑務や誰だか分からない無数のアポへの対応に追われていた、まさにあのどん底の時期のことです。
エージェントから一通のスカウトメールが届きました。差出人は、「ワイヤレス給電」を手がけるスタートアップ企業でした。

2. 「国を、世界を、法律を変える会社」エイターリンクとの運命の出会い
当時の私が知るワイヤレス給電といえば、スマホを充電する「Qi(チー)」のような技術が一般的でした。コースターのような台座の上に、1センチのズレも許さないほどピッタリと位置を合わせなければ充電できない、あの仕組みです。
「ステッキや電池に悩んでいる今の俺に、Qiの技術が何に使えるって言うんだ……」
最初はそう思いつつも、紹介された資料を読み進めるうちに、私は目を見張りました。その会社が持つ技術は、なんと「数メートル離れた全く何もない空間から、電波を使って直接デバイスを充電できる」という、文字通りの魔法のような空間伝送型ワイヤレス給電技術だったのです。

天井のアンテナから部屋全体のデバイスへと、
電波でエネルギーを満たすワイヤレス給電の世界観 by Copilot
「これは……もしかしたら、俺が悩んでいる電池の限界をすべて根本から破壊できるかもしれない」
最初は何か参考になるかもしれないという軽い気持ちで、当時大手町にあったオフィスの見学を申し込みました。
実際に最初に見せてもらったデモシステムは、ファクトリーオートメーション(工場などの産業用機械)の可動部にセンサーを取り付け、ワイヤレスで給電することで「配線の断線トラブルをゼロにする」という、極めてBtoB向けの渋い技術でした。パッと見は「自分がずっとやってきたコンシューマ向けの領域ではないな」という印象でした。
しかし、創業メンバーから詳しく裏側の話を聞いていくうちに、私の全身をこれまでにないほどの激しい衝撃が貫きました。
そもそも、日本国内においてこうした「遠距離への電波によるワイヤレス給電」は、電波法の厳しい規制によって、これまで絶対に実現不可能とされていた領域でした。
それを可能にしたのは、まさにこの「エイターリンク(Aeterlink)」という会社そのものだったのです。彼らは「ワイヤレス給電で世界の配線をなくす」というありたい未来のために、国へと働きかけ、何年もかけてディスカッションを重ね、ついに「電波法そのものを改正させて道を切り開いた」張本人たちだったのです。
しかも彼らは、日本国内のルールを変えるだけでは満足していませんでした。国を動かすだけでなく、世界中でこの技術が当たり前に使われる未来を見据えて、世界における『グローバル規格(標準化)』の策定へ向けても、一切の抜かりなく世界を相手に働きかけを続けていたのです。
その「世界を相手にルールそのものを作り変えにいっている」という彼らの圧倒的なモチベーションと発想のスケールに、言葉を失うほどの衝撃を受けました。そんな壮大な挑戦、今までの私のエンジニア人生のどこを探してもありませんでした。
「この会社は本物だ。ここなら、エネルギーの束縛から世界を解放できる!そんな会社でまた思いっきりモノづくりしてみたい」
私は猛烈に共感し、面接を受けることにしました。面接では事前にテストケース(課題)が伝えられ、課題用の機材が自宅に届きました。。。『こ、この感覚は、Macが届いたあの頃のようだな』と、寝食を忘れて没頭しました。そして、無事内定を勝ち取ったのです。

3. 普通のエンジニアに戻りたい:家族との真摯な対話
内定をもらい、腹は決まりました。しかし、最後に超えなければならない最大の山が待っていました。家族への説明です。
数年前、セイコーインスツルを辞めてノバルスへ行くときにも「俺を信じてくれ」と言って大企業の安定を捨てさせ、心配をかけたばかりです。それなのに、またしても不安定なスタートアップ企業へと転職する。
「今度ばかりは、さすがに呆れられるかもしれない。何と言って説明すべきか……」
私は、自分の胸の内にある本当の想いを、家族に包み隠さず、真摯にすべて打ち明けることにしました。
「ノバルスではCTOとしてたくさんの貴重な経験をさせてもらった。でも、今の俺は、在庫管理や書類仕事ばかりで、大好きな開発のコードが全く書けなくなってしまっている。自分は、何のしがらみもない、ただの『一人の普通のエンジニア』に戻って、もう一度、純粋に自分の手でモノづくりがしたいんだ」
私の張り詰めた本音とわがままを、家族は静かにじっくりと聞いてくれました。
「役職から外れてゼロからのスタートで本当にいいの?」現実的な心配があるのは当然のことです。夫として、父親として、申し訳ない気持ちを抱えながら必死に説明する私に、家族は少し呆れたようにこう言いました。
全く……。子供たちの大学受験で家族みんなが本当に大変なときに、お父さんも一生懸命格闘してたね(笑)」と、再び私を信じて背中を押してくれたのです。家族の理解と深い愛情を得て、私は今度こそ、本当の救いを得たような気持ちになりました。

P.S. 実は、当時の私が忙殺されていたあの無数の面談の中に、のちに私の運命を大きく変えることになる、当時起業前だった現在のエイターリンクの社長が混ざっていたのだそうです。
これは後になって、エイターリンクの最終面接の時に社長から直接教えられたことでした。
小山さん、私のこと覚えてます? 私、実はノバルスのオフィスでお会いしてるんですよ
当時の私は心労と忙しさでその時の記憶が完全に抜け落ちており、「えっ!? ……あーれー、どうもすいません、全く覚えていません!」とその場では軽く恐縮して返しました。ですが、内心では「と、まぁいっぱいいろんな人と会いすぎたから、さすがに覚えてないよなぁ……」なんて思っていました。
すると、その場にいた誰かが「え、ちなみにその時、小山さんはなんて言ってたんですか?」と社長に聞いたのです。
社長は少し考えて、ニヤリと笑いながらこう言いました。「あぁ、小山さんからは、『まぁ、がんばれよ』的なことを言われたかもね(笑)」
それを聞いた瞬間『あ、終わった』。かつてセイコーインスツルの社長に直談判したときに言われたあのセリフを、まさか自分が未来の救世主に対して、思いっきり上から目線で放っていたとは……!
あぁぁぁれぇぇぇぇ!本当にどうもすいませんでした!!!
そこからはもう、冷や汗だくだくで本気の平謝りをするしかありませんでした(笑)。
ですが、私が人生の限界を迎えていたあの場所に、すでに未来の救世主がそっと足跡を残し、そんな不思議な縁で繋がっていたのだと思うと、今振り返っても運命の悪戯を感じずにはいられません。。。

4. エイターリンクでの今、そして未来を作る若い世代へ
こうして私は、「エイターリンク(Aeterlink)」へと合流しました。
そこからは、自分自身への過酷な挑戦の日々でした。ノバルスではバックオフィス業務に追われていたため、実に「6年間の開発ブランク」があったのです。
最初はそれこそ、最新のアーキテクチャや開発環境に必死にしがみつきながら、錆びついた感覚を取り戻すために一日中CPUやリファレンスマニュアルと格闘し続けました。
デバッガでブレークポイントまで進めてステップ実行。。やっぱり面白い。だんだんとワクワクした感覚が、自分が経験した激動の歴史の記憶がよみがえってきました。
かつて「伝統的な時計設計部で極限まで叩き込んだ『超低消費電力技術』」
そして、「移動通信事業部で死闘を繰り広げて培った『無線通信技術』」
そのすべての経験の「点と線」が、このエイターリンクのワイヤレス給電のシステムの上で完璧に融合したのです。ブランクを乗り越えた自分は、今では空間を飛び交う電波を効率よく捉え、様々な驚くべきワイヤレス給電のデモシステムを自分の手でゼロから形にできるまでに完全復活を遂げました。
エイターリンクが掲げる「世界の配線をなくし、デジタルを空気のように遍在させる」という理想は、まだまだ道半ばです。しかし、私は今、何のしがらみもなく、毎日純粋にコードを書き、一人のエンジニアとしてその理想を現実にするための貢献ができていることに、日々言葉にできない喜びを感じていいます。
私のエンジニア人生は、このエイターリンクの舞台で、まだまだこれからも続いていきます。

電源アナライザは電圧を供給しつつ消費電流をオシロのように観察できる優れもの
時計設計部時代に欲しかった。。。

どこでもワイヤレス給電のデモできる居酒屋キット
お手製のFWとアプリで受信電力をモニタするの図
特小LoRaモジュールの電力でもセンサが動作する

5. おわりに:歴史的証言シリーズを読み終えてくれたあなたへ
1998年のRuputer、2001年CESのBluetoothウォッチ、WRISTOMO、アテネでの拘束、残り2バイトの死闘、ソニーMN2、WIMM Labs、セイコー時計設計部での独自プラットフォームの構築、ノバルスみまもり電池、そしてエイターリンクでのワイヤレス給電への挑戦。
全13回にわたってお届けしてきた私の歩んできたエンジニア人生は、常に時代の半歩先、一歩先を走り続ける、泥臭くも最高にエキサイティングな旅路でした。
バグに悩み、メモリやエネルギーの壁に絶望し、それでも「繋がった!」「動いた!」という一瞬の歓喜のためにコードを書き続ける。そんなエンジニアという仕事のロマンと楽しさが、この連載を通じて、今を生きる、そしてこれから未来の新しい世界を作る若い世代の開発者の皆さんに、少しでも伝わったならこれほど嬉しいことはありません。
皆さんの手元にあるガジェットや、世界を支えているテクノロジーの裏側にも、きっと、誰かの熱い執念のコードが眠っています。
長い連載に最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
(歴史的証言シリーズ・完結。)

番外 街の記憶
いろいろと昔の写真をひっくり返してたら、これもちょっとまとめようと思った次第

ノバルス時代よく行った居酒屋かず家
生牡蠣100円(1人2つまで)/どじょうたち/転職祝いでもらった特製焼酎

同じくノバルス時代よく行った神田らーめん わいず 並んでも食べる

エイターリンク時代 錦糸町→丸の内たまに秋葉原
開拓中

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最後までお読みいただきありがとうございました。またいつかどこかでお会いしましょう。

おまけ:なぜCherryなの?
 実家のお店の名前が チェリー だったことに由来します。高校までは普通に小山って呼ばれてましたが、なぜか大学のサークルではチェリーとかチェリーさんとか呼ばれるようになりました。
 で、プログラムのヘッダにはCherryと書くようになり、RuputerでもCherryでアプリ作ってました。ってことでした。

【歴史的証言・ノバルス起業編 第4弾】「みまもり電池」の独立、LTE-Mへの極限進化、そしてCTOとしての孤独な燃え尽き

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事歴史的証言・ノバルス起業編 第3弾】では、必死に挑んだ大変な量産ライン立ち上げの舞台裏、そして「物売り」の限界を突破するために挑んだ「ビーコンモデル」が、ワイモバイルの高齢者見守りサービスに採用されるまでの大転換ドラマをお話ししました。
今回は、ノバルス(Novars)というベンチャーがさらなる市場拡大へ向けて突き進む中で、私たちが挑んだ二大ブレイクスルー、そしてその裏で私自身が直面した人生で最も過酷だった「ベンチャーの洗礼」の記録を書き残します。

1. キャリア依存からの脱却と、若手が作り上げた独自クラウド
ワイモバイルでの見守りサービス採用は、会社にとって大きな一歩でした。しかし、ビジネスの世界はどこまでもシビアです。
このサービスはあくまで通信キャリアの回線契約者が対象となるため、月額のサブスクリプション収入はキャリア側と按分(山分け)されることになります。必死に開発したシステムであるにもかかわらず、自社に残る利益は決して潤沢とは言えませんでした。
「キャリアの枠を超えて、誰もが手軽に使える自社独自のサービスを直接提供しなければ、ベンチャーとしての持続的な成長はない」
そう決意した私たちは、キャリアの回線に依存しない独立したシステムの構築へと舵を切りました。
この巨大な挑戦を支えてくれたのが、またしてもチームの若い才能でした。ノバルスの若きエンジニアが、サーバー構築からフロントエンドにいたるクラウドシステムを、なんとゼロからたった一人で叩き上げ、見事に完成させてくれたのです。
これが、現在にまで続く自社ブランドサービス「ノバルスみまもり電池の誕生の瞬間でした。
若手が作ったこのクラウド基盤ができたことで、私たちは自分たちの手でお客さまと直接繋がり、サブスクリプションビジネスの基盤を完全に我がものにすることができたのです。
2. Ruputerの遺産:テレビリモコンの電流波形ハックとクラウドPoC
このみまもり電池の核となる技術は、「電流が閾値を超えたことを検知する技術」ですが、これがさらに進化します。
テレビのリモコンは、ボタンを押した瞬間に赤外線を発光しますが、その瞬間、電池に流れる一瞬の電流波形をミリ秒単位で検知させるのです。
ここで、私のかつての「Ruputer(ラピュータ)時代」の経験が鮮やかに息を吹き返しました。
今から28年前の1998年、私は赤外線がメーカーごとに決まったコード(パターン)で発光する仕組みを解析し、Ruputerを学習リモコン化するアプリを自作していました。今回は、そのアプローチを完全に逆回転させたのです。
リモコンのボタンによって、赤外線を発光パターン = 電流の流れる波形パターン」がわずかに異なります。その波形を解析すれば、電池単体で「今、リモコンのどのボタン(チャンネル)が押されたか」までが正確に逆算できるはずです。
が、実際に実現させるのは並大抵のことではありませんでした。しかし、ノバルスに途中から合流したハードとソフトどちらの素質も兼ね備えたスーパーエンジニアがそれをやってのけました。
私たちはこの情報をクラウドに集約し、ボタンの押され方の特徴を分析することで、認知症の初期傾向を検知したり、リアルタイムの視聴データを取得したりする最先端の実証実験(PoC)を行いました。28年前の手探りのハックが、巡り巡って命を救うクラウドシステムへと昇華していく。。。エンジニアとして、本当にたまらないほど素晴らしい経験でした。
3. 師匠の愛弟子がもたらした、単一乾電池「MaBeeeML」の極限進化
そして、もう一つこのリモコンの電流波形ハックとまったく同じ時期、私たちはハードウェアの極限進化が並行して進んでいました。
私たちのチームに、あのハードウェアの師匠の「愛弟子」にあたる優秀なハードウェアエンジニアが新たにジョインしてくれていました。
彼は、これまでの単三乾電池のサイズという制約を飛び出し、より大きな機器で使われる単一乾電池の内部に、直接携帯電話回線(LTE-M)の通信モジュールを丸ごと組み込むという、前代未聞のハードウェア開発に挑んだのです。
そうして生まれたのが、スマホや中継器を介さず、電池単体で直接クラウドと通信してデータを飛ばすことができる驚異の新製品、「MaBeeeML(マビー・エムエル)」でした。
師匠のDNAを受け継いだ彼の卓越した回路設計により、市場拡大をもくろみ、より幅広い法人向けのユースケースに対応できるようになっていきました。
若手がクラウドを一から作り上げ、テレビリモコンをハックし、師匠の愛弟子が最強のLTEハードウェアを具現化する。あの2013年、嫌々参加した「ヤミ研」から始まった小さな手作りのプロトタイプ(種)が、若い世代と次の世代のエンジニアたちによって、完璧な近未来のIoTシステムへと進化していく。チームの成長としては、これ以上ない理想的な姿でした。

単一乾電池型MaBeeeML

4. コードの奪われた右腕と、無数のアポへの忙殺、そして暗闇を照らし続けた友情の灯火
しかし、チームが目覚ましい大躍進を遂げ、製品が社会に認められていくその裏側で、CTOである私の心は、完全に悲鳴を上げていました。
会社が大きくなり、案件やユーザーの数が増えるにつれて、私の仕事の内容は「エンジニアリング」から、ベンチャー企業の生々しい「バックオフィス業務」へと、完全にすり替わっていってしまったのです。
気がつけば、あれほど大好きで、自分の命そのものだった「自分でコードを組む開発作業」には全く時間を割くことができなくなっていました。日々のタスクを埋め尽くしたのは、遅れが許されない緻密な電子部品の在庫管理、鳴り止まないユーザーサポート、助成金の膨大な申請書類づくり、特許出願の応答対応……。
さらに私を追い詰めたのは、ひっきりなしに押し寄せる、外部からの様々な面談やアポの対応でした。当時は会社が注目され始めていたこともあり、誰だか分からないような無数のスケジュールに日々忙殺されており、「これが今の自分の仕事なのだ」と必死に自分に言い聞かせるしかありませんでした。
バグと戦い、メモリの壁をハックして、ハードの限界をソフトの知恵で超える。自分で開発をコントロールできる自由を求めてベンチャーに来たはずなのに、現実はコードを書く右腕を奪われ、リソースのない会社を回すための「何でも屋」としてすり潰されていく毎日。かつてRuputerや時計のプラットフォームを作っていたあの頃の、純粋なモノづくりのワクワク感は、押し寄せる過酷な管理業務の濁流の中に、完全に消え去っていました。
心から余裕が完全に消え去り、自宅に帰っても、あれほど応援してくれた大切な家族に対して、話はすれど心ここにあらず、笑顔も消えた暗い父になっていたのではないかと思います。
そんな状況を知らないはずの大学の同期の友人からメッセージが届いたのです。
「小山、なんか大丈夫か?」
実は、メッセージをくれた彼自身、遡ること10年ほど前、出張中のドイツで脳出血で倒れ、その後も後遺症が残るという本当に過酷な生活を送っていたのでした。「自分のことだけでも精一杯で、どれほど大変だろうか」という状況なのに、彼は遠くから私の異変を察し、心から私のことを心配してメッセージをくれたのです。
彼が毎週灯し続けてくれたその温かい友情の灯火に、私はどれほど救われ、どれほど感謝したか分かりません。彼自身のほうが遥かに過酷な戦いの中にいるのに、私の折れかけていた心を、その変わらぬ優しさが、きつかった時期ずっと支えてくれました。今振り返っても、本当に感謝の言葉しかありません。
こんな感じで何とか踏ん張りつつも燃え尽きかけていた私の元に、エージェントから一通のスカウトメールが届いたのでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。
1998年のRuputerから始まったこの連載も、次回でいよいよ「最終章」を迎えます。最後自分はどうなってしまうのか?? どうぞ最後までお付き合いください!
今回のみまもり電池の進化や、ベンチャーCTOのリアルな葛藤に深く共感してくださった方は、ぜひシェアやコメント、下の [ランキング参加中 エンジニアグループ] アイコンをクリックして応援をお願いします!


【追伸:恩師への感謝を込めて】
時計設計部時代から私を導き、このMaBeeeの開発においても量産ラインの立ち上げという最高の舞台を用意して私を引っ張ってくださった、大切な「ハードウェアの師匠」が、先月他界されました。
私のエンジニア人生の大きな節目には、いつも師匠の存在がありました。師匠が遺してくださったモノづくりのスピリットと数々の教えは、今も私の心の中に深く生き続けています。ここに生前のご厚情を深く感謝しますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

【歴史的証言・ノバルス起業編 第3弾】見える化の代償と20連書き込み治具、そして「物売り」から「サブスク」への大転換

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事【歴史的証言・ノバルス起業編 第2弾】では、手数料3000円での特許庁突撃、ビックカメラ有楽町店の一等地ジャックという大爆発、そして私のわがままな挑戦を受け入れてくれた、家族とのリアルな話し合いを経て、ついにノバルス(Novars)のCTOとして荒野へ飛び出す覚悟を決めた瞬間をお話ししました。
今回は、本格的にベンチャーの洗礼を受けることになった激闘の記録です。秋田の製造工場を舞台に、私たちが必死に挑んだ大変な量産ライン立ち上げの舞台裏と、会社を存続させるために挑んだ「ビジネスモデルの歴史的大転換」のドラマをお届けします。

1. 全てが「見える化」された秋田の工場と、果てしない在庫管理
二代目「MaBeee(マビー)」を量産するステージとして選ばれたのは、Bluetoothチップメーカーよりご紹介頂いた秋田にある工場でした。
この工場を選定した最大の理由は、製造に関わるすべての部品の価格を完全に開示(オープン)してくれること。さらに、「もしノバルス側でこれより安いルートの部品を手配できるなら、それを使ってラインを流してもいいですよ」という、ベンチャーにとっては涙が出るほどありがたい柔軟な条件を提示してくれたからでした。
これにより、製造コストの「100%見える化」が実現し、お互いの信頼関係は最高のものとなりました。
……が、この「見える化」には、強烈な代償が待っていました。
自分たちで部品を手配して持ち込めるということは、裏を返せば、「膨大な電子部品の在庫管理や調達リスクを、すべて自分たちの手で行わなければならない」ということです。
小さなチップ抵抗からBluetoothのチップにいたるまで、一つの部品でも欠ければラインは完全に止まります。大手企業時代には専門の調達部隊が当たり前にやってくれていた作業を、リソースのないベンチャーの私たちが自力で行うのは、本当に想像を絶する過酷さでした。「マジでこれはきつかった……」と、当時の在庫シートを思い出すだけで今でも眩暈がするほどの、最初の洗礼でした。
2. 「外注が高いなら自分らで作る!」20連ファーム書き込み治具
さらに、もう一つの大きな壁が立ちはだかりました。
量産ラインそのものは工場側が用意してくれますが、基板にプログラムを書き込んだり、電波のテストをしたりするための「検査治具(じぐ)」の一式は、コストを抑えるためにこちら側で製造して提供することになったのです。
最初は専門の治具製造外注にお願いしようと見積もりを取ったのですが、ベンチャーの予算を遥かに超える、びっくりするほど高い金額を提示されてしまいました。
「とてもじゃないけど外注には頼めない。自分たちでやるしかない!」
そこで、あのハードウェアの師匠から、私にお呼びがかかったのです。
「小山くん、ソフトは君がいないと作れない。一緒に特製の治具を組もう!」
師匠はまず、効率を極限まで高めるため、20cm×20cmほどの大きな基板(集合基板)一枚から、一度に20枚分のMaBeee基板を切り出せる(面付け)ような芸術的な基板設計を行いました。
そして私は、その20枚の基板に対して、全自動で次々とファームウェア(プログラム)を高速転送して書き込んでいくための「制御ソフトウェア」を自作することにしたのです。
電子回路上で信号を切り替えるリレー回路と、基板にピタッと接触させる書込み用のピン(ポゴピン)、そしてファームウェアの転送ツールを力技で組み合わせ、20枚のMaBeee基板に次から次へと連続でファームウェアが書き込まれるようにハックした特製治具を作り上げました。
ファームウェアが無事に書き込まれたMaBeee基板は、次に「無線回路検査治具」へと回されます。この無線のテスト用ソフトは、私と同じタイミングでノバルスへ入社してくれた、若き天才エンジニアが見事に作り上げてくれました。
そして最終的な完成品の検査治具では、電波を遮断した「電波暗箱(シールドボックス)」の中に組み上がったMaBeeeを入れ、スマホとBluetooth通信テストを行います。無事に接続が確認できると、その個体の個別のデバイス名(シリアル)が連動したテプラからウィーーンと自動で印刷されて出てくる、という一連の検査システムまで全て自分たちの手で構築したのです。
「モノを作るって、こんなに大変なことなのか……」と、毎日ヘトヘトになりながらも、秋田の工場で二代目MaBeeeが次々と梱包され、無事に出荷されていく姿を見送った時の達成感は、本当に言葉にできないものがありました。最終的には、このMaBeeeは海を渡り、アメリカの市場でも販売されるまでに至ったのです。

1枚の集合基板にはMaBeee基板が20枚
書込み終わったら板チョコみたくポキポキ折ってバラバラにします
3. 「物売り」からの脱却:サブスクビジネスへの挑戦
こうして、私たちの血と汗の結晶であるMaBeeeは世界へと羽ばたきました。しかし、ベンチャー企業として持続的に成長を続けるためには、さらなる高い壁を乗り越える必要がありました。
「おもちゃ」を対象とした製品である以上、どうしても1本あたりの小売価格を高く設定することはできません。原価を削り落としても利益は薄く、どれだけ一生懸命に売っても、会社全体のビジネスを大きく「スケールアップ(事業拡大)」させるにはどうしても限界があったのです。
ベンチャーキャピタルをはじめとした出資者の方々は、私たちの未来を信じて大切な資金を「託して」くれています。だからこそ、単なる一回限りの『モノ売り』の商売に留まらず、会社を次のステージへ引き上げるための大きなブレークスルーや、持続可能なビジネスモデルを確立することは、私たちが果たすべき当然の責任でもありました。
「ただの面白いおもちゃで終わらせてなるものか。もっと大きな社会的価値を生み出す仕組みを作ろう」
頭を悩ませる中、私たちは次のアイデアへと手を伸ばしました。
乾電池が使われている現場で、「今、まさに電池が使われた(電流が流れた)ということ自体を、遠隔で検知する仕組み」ができないだろうか、という発想です。
これまでのMaBeeeは「スマホから電池をコントロールする」製品でした。しかし今度は逆に、「電池に多くの電流が流れた瞬間に、電池自体の力でスマホやサーバーへ『使われたよ!』という信号(ビーコン)を自発的に飛ばす」という、真逆のアプローチを思いついたのです。
これが、のちの運命を決める「ビーコンモデルMaBeee」の開発のスタートでした。
この電池から飛んできたビーコンをサーバーで一括管理し、クラウド経由で可視化する。こうすれば、単におもちゃを1回売って終わる「物売り」ではなく、月額のサービス利用料でお客さまと持続的につながり続ける「サブスクリプション(サブスク)商売」へ、会社をガラリと回せるのではないか――。
この確信を得たノバルスの社長(例の企画の同僚)は、試作品のビーコンモデルをカバンに詰め込み、それこそ日本の全ての主要通信キャリアへと、怒涛の勢いで飛び込みプレゼンを仕掛けていきました。
そして、その凄まじい営業の熱意と、私たちの作った「乾電池を入れ替えるだけであらゆる家電が繋がる」という圧倒的な導入の軽さが認められ、最終的に「ワイモバイル(Y!mobile)」での高齢者見守りサービスとして、正式に採用されるという歴史的快挙を成し遂げたのです!
おもちゃのスピードを変える魔法の電池から、離れて暮らすおじいちゃんやおばあちゃんの日々の生活(テレビのリモコンやセンサライトの使用状況で)をそっと見守る、命を支えるインフラへ――。
私たちはベンチャーの洗礼を受けながらも、ハードとソフトの知恵で、またしても新しい時代の扉をこじ開けたのでした。

上から
①初代MaBeeeコントロールモデル
②二代目MaBeeeコントロールモデル
➂二代目MaBeee派生ビーコンモデル
※ ①Braveridge製モジュール/②➂nRF51822 SoC実装
※ ②➂二代目基板の左側は共通BLE回路/右側はモデル別の回路構成とした

実は、この迅速なサブスクモデルへの大転換(派生開発)を影で支えていたのは、先のノバルス編 第2弾でお話しした「二代目MaBeeeを作る際、師匠に協力してもらいながら自分たちの手で1からハードウェアを再設計する」という決断でした。

基板設計もファームウェアもケースも、すべての開発を自分たちの手で行ったからこそ、一切無駄のない基板を作り上げ、時代の要求に合わせて瞬時に新しいモデルへと進化させることができたのです。
もしもあの時、コストの高かった初代の構造に依存したまま丸投げのスタイルで突き進んでいたら、このビーコンモデルへの派生開発費はさらに膨れ上がり、販売時期も大幅に遅れて、会社は間違いなく途中で潰れてしまっていたはずです。ハードウェアを自分たちで完全に支配することの重要性を、身をもって知った、ノバルスの本当のターニングポイントでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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【歴史的証言・ノバルス起業編 第2弾】手数料3000円の特許庁突撃、ビックカメラ有楽町店の一等地ジャック、そして覚悟の家族会議

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事【歴史的証言・ノバルス起業編 第1弾】では、嫌々参加した「ヤミ研」をきっかけに、年末に届いたMacで正月返上のデモ開発に挑み、我が家のリビングで世界初のIoT乾電池「MaBeee(マビー)」のプロトタイプが爆笑と共に誕生した瞬間をお話ししました。
今回はその続きです。手作りの試作品が動き、「これは本当に売れるかもしれない」と確信した私が、次に仕掛けた驚きの行動と、そこから始まった予想だにしない運命の変転の記録をお届けします。

1. 手数料3000円!冷や汗だくだくの特許庁手書き修正事件
スマホからプラレールが完璧にコントロールできた瞬間、私の頭には次なるステップが浮かんでいました。
「このアイデアは絶対に真似される。今のうちに特許を押さえなければダメだ」
そう思った私は、貴重な休日をすべてつぎ込み、自分で特許の書類一式(明細書)を書き上げることにしました。複雑な回路図の作成は、「究極の2コイルモーターモジュール」を生み出した例のハードウェアの相棒にすべてお任せし、私は残りの課題や効果や詳細な動作やフローチャートなどの文章や図面をMacでひたすら作成していきました。
ようやく書類が完成し、一応「Macを自宅に送りつけて覚悟ときっかけをくれた」ということで、企画の同僚、ハードの相棒、そして私の3人の連名にして、なんと弁理士を通さず特許庁へ直接自分の手で出願しに行くことにしたのです。(家族にも内緒で。。)
平日の特許庁に入ると、中は驚くほどガランとしていて人はほとんどいませんでした。すぐに自分の番が回ってきて、窓口の担当者がペラペラと私たちが作った中身を確認し始めます。
「何か致命的な不備を指摘されるんじゃないか……」と、私は座席で心臓をバクバクさせながら緊張して待っていました。すると、担当者が書類を指差して困った顔でこう言ったのです。
「あの、これ……ページの番号が、1つずつ後ろにずれてしまっていますね。これ、一度持ち帰って作り直してから再度出し直しますか?」
頭が真っ白になりました。特許庁の窓口は平日しかやっていません。私はわざわざ会社で有給休暇を取って、このために今日ここへ来ているのです。ここで持ち帰ったら、また仕事を休まなければなりません。
「いや、平日は仕事があるので、何とか今日この場で受理してもらう方法はありませんか!?」
私が必死に食い下がると、担当者さんは少し考えてこう言いました。
「……では、今ここで、手書きで全ページの番号を直接修正していただけますか?」
そこからはまさに時間との戦いでした。私は数十ページに及ぶ書類のページ番号を、窓口の脇で冷や汗をだくだく流しながら、1ページずつペンでガリガリと手書きで直していきました。なんとも滑稽で焦りまくった一幕でしたが、執念の手書き修正が功を奏し、書類は無事にその場で受理され、出願は完了したのです。
通常、当時私が在籍していたセイコーインスツル(SII)のような企業では、社内の特許担当部署と何度も打ち合わせを重ね、代理出願のプロセスを経てプロの弁理士さんを使うため、1件の出願に何十万という費用がかかります。しかし、私たちが直に窓口に持ち込んで支払った手数料は、わずか「3000円」でした。

受理された証の押印と特許庁の入り口で記念のショット
2. ビックカメラ有楽町店の一等地へ!相棒の電撃起業と想定外の大爆発
特許も無事に出願でき、私はエンジニアとしての充実感に浸りながら、本職である時計の開発をそのまま進めていました。当時の私は、安定した大企業を辞めてまで、このIoT乾電池を自分で売るというビジネスの世界に飛び込むことまでは、これっぽっちも考えていませんでした。
ところが、あのMacを送りつけてきた企画の同僚は、私とは全く違う次元で本気でした。
彼は水面下で着々とベンチャー起業の準備を進めており、ある日、あっさりと会社を辞めて、スタートアップ企業「ノバルス(Novars)」を本当に立ち上げてしまったのです。
「ええっ、本当にやめちゃったよ……!」
彼の電撃的な行動力を前にして、私はただただ呆然とするしかありませんでした。
そこで私は、自分はひとまず会社にいながら、普段の仕事をこなしつつ、ちょっとずつノバルスの技術的なお手伝いを裏方として始めることにしたのです。
すると、裏で進めていたプロジェクトがとてつもない大爆発を起こします。
満を持して挑戦した「Makuake」でのクラウドファンディングが、開始直後からガジェット好きや親御さんたちの間で話題となり、びっくりするほどの大成功を収めたのです。

Makuakeから頂いたビジネスインパクト賞
このクラファンの圧倒的な勢いに目を留めてくれたのが、あの家電量販店の巨頭でした。
なんと、ビックカメラ有楽町店の、それも一番お客さんが行き交う「正面入り口」の真ん前に、MaBeeeの巨大な特設コーナーを作ってもらえることになったのです!昼間は正社員として普段通り時計のコードを書いている裏で、自分が手探りで作ったIoT乾電池が日本の流通の一等地をジャックしている……。この光景を目にした時は、ヤミ研のハックの成果として本当にゾクゾクするような高揚感がありました。

当時のビックカメラ有楽町店MaBeee特設コーナー
休日見に行き思わずカメラに収めました
こうして最高のロケットスタートを切ったMaBeeeでしたが、いざ本格的な一般販売に向けて量産を進めるとなると、今度は「製造(ハードウェア)」のシビアな現実の壁が立ちはだかります。
初代「MaBeee」の製造は、IoTベンチャーの駆け込み寺として有名だった、とある国内の受託開発・製造メーカーにお願いすることになりました。まるっと形にしてくれる素晴らしい会社でしたが、やはりベンチャーの初期ロット生産ということもあり、どうしても製品の製造コスト(原価)が高く、おもちゃとしてあまり安くすることができませんでした。
「これじゃあ、子供たちが気軽に買える価格にならない。次の二代目を作る時は、パッケージのデザインも含めて、自分たちで部品の選定から工場の選定まで全て1からやり直したい」
そう考えた彼の考えを聞いて、私は「そこまで面倒を見られるのはあの人しかいないだろう」と思い、ある人物に声を掛けることにしました。
時計編の第1弾で、私が時計設計部へ異動したのと入れ替わるように引退されてしまった、あの伝説の「ハードウェアの師匠」です。
私は引退されていた師匠にコンタクトをとり、工場選定からやってもらえないかと相談しました。師匠は快く引き受けてくださり、師匠の圧倒的な知見とネットワークによって部品から全てを選び抜いた結果、パッケージも一新され、ようやく120%納得のいく「二代目MaBeee」の設計はできてきたようでした。

3. 24階の社長室への直談判と、師匠からの二度目の誘い
でも、この工場選定をやっていた時、私はまだSIIに在籍していました。そして、この素晴らしい日本の製造工場の技術に触れているうちに、私の中で一つの大きな野望が首をもたげてきたのです。
「うちの会社にだって、かつて私が手がけたBluetoothウオッチを作れるような素晴らしい自社工場がいくつもあるじゃないか。ならば、自社工場で作ってみませんかと提案したらどうだろう?」
そうすれば、業務外の裏方として少しずつ手伝うのではなく、会社の公式プロジェクトとして堂々とMaBeeeの開発に携わることができるかもしれない。そう考えた私は、当時の部長に相談しました。ありがたいことに部長も私の熱意を汲み取ってくれて、なんと社長へ直接プレゼンができるようアポを取ってくれたのです。
社長面談の当日、私は初代「MaBeee」と、あの手作りの「スマホを傾けて動かすプラレールデモ機」をカバンに詰め込み、社長がいる本社の最上階・24階へと一気に駆け上がりました。
24階に到着し、面談の時間が来るまでしばらくロビーで待つことになりました。窓の外には東京湾から富士山が一望でき、その時に静かな緊張感の中で見つめた高い空の景色は、今でも私の心に深く残っています。
いよいよ社長室へ通され、運命のプレゼンが始まりました。社長の目の前でスマホを傾けてプラレールを走らせ、「ぜひ我が社の工場でこの乾電池を作りましょう!」と熱弁を振るいました。
突然乗り込んできた一エンジニアの、度肝を抜くような? 実機デモを前に、社長は驚きつつもじっくりと話を聞いてくれました。しかし、結果はさすがに「面白い試みだけどね、まぁがんばれよ!」と優しく励まされて終わりました。あはは、さすがに24階の一発突破とはいきませんでした。組織の壁は厚かったですが、公式に直談判をさせてくれた当時の部長や会社の懐の深さには、今でも深く感謝しています。
そんなこんなで、会社を巻き込むハックには失敗したものの、二代目MaBeeeは秋田の製造工場で本格的に作り始めることが正式に決まりました。
ところが、いざ量産ラインを立ち上げるというその瞬間、現場からどうもやはり「人が足りない」という大ピンチの連絡が入ったのです。
「小山くん。秋田の現場で、どうしても君の力が必要だ。一緒に来て、ラインを完成させてくれないか?」
時計設計部へ私を導いてくれた師匠からの、人生で二度目の切羽詰まったお誘いでした。
ですが、実際のところ、長年お世話になった会社を辞めるという判断は、そう簡単に「すぐに行きます!」と二つ返事ができるものではありませんでした。ベンチャーに行けば給料は不安定になります。何より、それを家族にきちんと説明し、納得してもらうことが最優先でした。
悩む私に対して、一足先に起業していた企画の同僚(社長)は、ベンチャーの魅力とリターンを切々と説得してきました。
「ベンチャーなら、自分の手で開発を最初から最後まで100%コントロールできる。それに、事業が成功すれば、給料はもちろん、ストックオプションという仕組みがあって、それがボーナスの代わりに大きなリターンとして稼げるチャンスがあるんだ」
自分が蒔いたIoT乾電池の種が、目の前で本物の製品として世界へ羽ばたこうとしている。そして、尊敬する師匠がその舞台を用意して待っている。自分の技術を極限まで試せる面白さがそこにある――。
私は社長から受けた説明と、自分のモノづくりへの熱い思いを、そのまま家族に話しました。
これからどうなるか分からない不安定な世界へ飛び出すという私の勝手な提案を、家族はじっくりと聞き、そして最終的には私の生き方を信じて、受け入れてくれたのです。
これからの生活を背負う立場として、私のわがままを笑顔で許し、背中を押してくれた家族には、今振り返っても本当に感謝の言葉しかありません。この家族の深い理解と覚悟があったからこそ、ようやく私自身の本当の腹が決まったのです。
覚悟を決めた私はついに退職届を提出し、24階から眺めたあの景色を胸に、長年お世話になったオフィスと別れを告げました。そして、ノバルスの最高技術責任者(CTO)として、ほぼ賛成者ゼロの荒野へと、完全に身を投じることになったのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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【歴史的証言・ノバルス起業編 第1弾】嫌々参加した「ヤミ研」と年末に届いたMac、そして世界初・IoT乾電池の産声

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事【歴史的証言・時計編 第3弾】では、伝統的な時計設計部で私が遺した独自プラットフォームが、仲間たちの手によって「メトロノームウオッチ」や「スピードタイマー」という最高の名機へと昇華されていく、感動の恩返しの物語をお話ししました。
今回からは新シリーズとして、私がなぜ安定した大企業のエンジニアを辞め、ほぼ賛成者ゼロの「乾電池のIoT化」という、誰も歩んだことのない世界へ飛び出すことになったのか。そのすべての始まりとなった、2013年の知られざる舞台裏をお届けします。

1. すべての始まりは2013年10月、嫌々参加した「ヤミ研」だった
時計設計部で充実した日々を送っていた2013年10月、ある男から声がかかりました。移動通信事業部時代に少し手伝った、電子棚札(電子ペーパーの価格表示器)の開発で知り合った企画部門の同僚でした。
「大企業ではなかなか実現できない尖ったアイデアを、業務外で有志と商品化することを目指す『ヤミ研(ヤミ研ワールドカフェ)』を企画したんだけど、小山さんも参加してくれない?」
ソニーなどで実践されている、エンジニアのチャレンジ精神を刺激するコミュニティへの誘いでした。しかし、私はそもそもこうした組織的なオリエンテーションやブレスト的な活動が、昔からどうにも苦手でした。「いや、俺はいいよ」と一度はきっぱり断ったのです。
ですが、彼も諦めません。「どうしても人数が足りないんだ、頼むから!」と熱く拝み倒され、最後は断りきれずに嫌々参加することになってしまいました。
「まあ、一回顔を出せば勘弁してもらえるだろう」
そんな軽い気持ちで出席したのが、私の人生を180度変える、底なしの沼への入り口だったのです。
2. 年末に自宅へ届いたMacと、正月返上のエビアンデモ
参加者の皆さんのモチベーションの高さに感服した一回目の会議はつつがなく終わり、私はこれでもう解放されると思っていました。しかし、二回目の打ち合わせが近づいた頃、企画の同僚がまたしても無茶振りを投げてきたのです。
「一回目で出たいくつかのアイデアを、ちょっとしたデモにして形に見せてくれない?」
当時はスマホとハードウェアを繋ぐ手段として、Bluetooth Low Energy(BLE)がようやく普及し始めた頃でした。スマホ側でBLEが安定して動くのは、当時はまだiPhone(iOS)くらいしか選択肢がありません。
「iOSアプリでデモを作るとなると、開発環境(Xcode)を動かすためのMacが必要なんだよね。でも、俺Mac持ってないからさ。ごめん、作れないわ!」
体よく断る理由ができて心の中でガッツポーズをしていたのですが、その年の2013年の年末、私の自宅に、なぜかズッシリと重い宅配便のダンボールが届きました。
開けてみると、中から出てきたのは、ピカピカに輝く新品の「MacBook Air」でした。
「開発環境、用意したから。よろしく!」という、同僚からの無言の、しかし強烈なメッセージでした。自ら口にしてしまった手前、もう逃げるわけにはいきません。私は「おいおい、しょうがねぇな……」と頭を抱え、貴重な正月休みをすべて返上して、Macに向かってポチポチとデモアプリのコードを書き始めることになりました。

自宅に送られてきたMac
最初に作ったのは、今でいう「アマゾンダッシュボタン」の先駆けのようなシステムでした。水のボトル(エビアン)の残り本数が減ってきたら、BLE開発キット「Konashi」(ユカイ工学謹製)のLEDがピカッと光って買い足しを教えてくれる、という「エビアンストックデモ」です。
出来上がった画面を眺めながら、私は腕を組みました。
「うーん、悪くはない。でも、これじゃあヤミ研をひっくり返すほどのインパクトが足りないなぁ……」
3. プラレールの熱狂と、子供の姿から閃いた「コロンブスの卵」
もっと直感的に、触って一発でワクワクするようなデモはないか。
私は手元にあったBLE開発キット「Konashi」の仕様書を隅々まで読み直しました。すると、パルス幅を制御してモーターの速度などを変えられる「PWM(パルス幅変調)」の出力端子が使えることに気づいたのです。
「スマホからこの出力値を変えられるなら、何か動くおもちゃに載せたら面白いんじゃないか?」
思い立ったら吉日。私は自宅にあった、当時小学生だった息子の「プラレール」を引っ張り出してきました。車両のプラスチックをハックし、Konashiの基板を強引に載せ、スマホからBLE経由でスピードをコントロールできる突貫の「プラレールデモ」をなんとか完成させ、ヤミ研の発表会に滑り込ませたのです。
このデモは、狙い通り「おおお、スマホで電車の速度が変わる!」と会場の大人たちに大ウケしました。
「やれやれ、これで俺の役目は終わったな」
一仕事を終えて家に帰り、当時小学生だった息子に「これ、スマホでスピードをコントロールできるんだよ」と、そのハックしたプラレールを渡してみました。
すると、そこから驚くべき光景が始まりました。
息子はスマホの画面を夢中で操作しながら、プラレールを駅にピタッと「停車」させ、またゆっくりと「出発」させるという遊びを、それこそ一日中、目を輝かせながら何時間も繰り返し続けたのです。

息子が運転手、娘が車掌さん
「発車おーらーい」の声がかわいいよ youtu.be 

次もぉ小山駅ぃぃ
チワワも興味津々 youtu.be 

その飽きることなく熱中する後ろ姿を見つめているうちに、私の胸の奥で、かつてRuputerを作ったあの日の衝動と同じ、エンジニアとしての熱いマグマがフツフツと湧き上がってきました。
「これは絶対に、このままおもちゃとして世に出さなきゃ駄目だ。子供をこんなに狂わせるエネルギーが、このハックにはある」
しかし、現実的な壁がすぐに立ちはだかります。私が作ったデモ機は、プラレールのボディの上に剥き出しの基板が載り、複雑な配線が電池ボックスへと繋がっている、いわば「サイボーグ」のような状態です。
「これを一般の子供が遊ぶ製品にするのは無理だ。お母さんやお父さんに、プラレールの配線を改造させるわけにはいかない……」
どうすれば、既存のおもちゃを一切傷つけずに、誰でも簡単にスマホ連動にできるのか。
プラレールの電池ブタを開けたり閉めたの繰り返しの末、私の脳裏に「コロンブスの卵」のような、とんでもないひらめきが降ってきたのです。
「……待てよ。プラレールをハックするんじゃなくて、中に入れる『乾電池自体』が、スマホから電圧を操れるPWMモジュールになっちゃえばいいんじゃねえか!?」
これなら、おもちゃのネジを外して配線する必要なんてありません。いつもの乾電池をこれに入れ替えるだけで、世界中のすべてのおもちゃが一瞬にしてIoT化する。
サイズは、最も普及している「単三乾電池」。その単三のケースの中に、一回り小さな「単四乾電池」をストンと入れ、生まれたわずかな隙間のスペースに、極小のBluetooth(BLE)モジュールと回路をギチギチに詰め込む――。世界初のIoT乾電池「MaBeee(マビー)」の基本構想が、我が家のリビングで産声を上げた瞬間でした。

左が単三乾電池 右が単四に基板のイメージを張り付けたの図
4. 錦糸町の相棒との秘密基地ハック、そして「動いた!」瞬間の爆笑
構想は完璧でした。しかし、大きな問題が一つありました。私自身はファームウェア(ソフトウェア)の人間であり、回路設計や微小なハードウェアの基板をつくる電子回路の技術は、からっきしだったのです。
「この究極に狭いスペースに、回路を組める男はあいつしかいない」
私が真っ先に相談したのは、前回の記事に登場した、あの時計設計部で究極の「2コイルモーターモジュール」を生み出した、信頼するハードウェア担当の仲間(錦糸町で鳥刺しを一緒に食べた相棒です!)でした。
彼にこの乾電池の構想を話し、私はエンジニアとして、非常に無茶なリクエストを投げかけました。
「普通に単四電池を入れただけの単三BLEモジュールだと、プラレールを使っていない間も電波を飛ばし続けて、すぐに電池がなくなっちゃうんだ。かと言って、子供が遊ぶたびに毎回おもちゃから電池を抜くなんてあり得ない。だから、プラレール側にある物理的な『ON/OFFスイッチ』の切り替えを回路側で自動検知して、おもちゃのスイッチがOFFになったら、BLEモジュール自体の電源も完全にシャットダウンするような、賢い回路を考えてくれないか?
彼は「相変わらず無茶言うねぇ……」と苦笑いしながらも、エンジニアの魂に火がついたのか、すぐに開発へ没頭してくれました。
当時は今のように、ネットで手軽にきれいな試作基板を発注できる時代ではありません。彼は、生基板を薬液に浸して銅箔を溶かす「エッチングキット」を使い、化学実験のようにして超微細なチップ部品が載る基板を自作しました。外側の単三の形のプラスチックカバーは、まだ黎明期だった光造形の3Dプリンターを使って、秘密基地のような研究室でこしらえたのです。

エッチングで作成した初代基板

 

数々の微調整を経て、ついに、手作りの「世界初のIoT乾電池」の試作品が手のひらの上に完成しました。単三乾電池と全く同じ形をしたそのプラスチックの塊を見つめたとき、「これは、本当にとんでもないものが出来てしまったぞ……!」と、身体中が震えるようなワクワク感に包まれました。

2代目基板は赤い!! ケースは光造形でつくった

 

そして、運命のテストの瞬間です。

その手作りの魔法の電池をプラレールにカチッと装着し、私が正月返上で作ったスマホアプリを起動しました。まだ小さな子供でも直感的に操作できるように、画面タップではなく「スマホ本体を前後に傾ける」ことで電圧(PWM出力)が変わるユーザーインターフェースを仕込んでいたのです。
元のスマホを、そっと手前に傾けてみました。
――ウィィィィィン!!
スマホの傾きと完全にシンクロして、テーブルに組んだレールの上をプラレールが滑らかに走り出し、ピタッと自分の前で止まりました。
その完璧すぎる挙動を見た私たちは、感動を通り越して、思わず顔を見合わせて「ハハハハハ!」と大爆笑してしまいました。
「できた。俺たちのハックで、世界が変わるぞ!」
しかし、このハードウェアの天才と作り上げた奇跡の試作品が、この後、会社を巻き込んだ「大逆風」と、ほぼ賛成者ゼロという過酷な現実の壁にぶつかることになるとは、この時の私たちはまだ、知る由もなかったのです。

ちゃんとプラレールの電池ケースに収められる
原型試作品の完成!!

最後までお読みいただきありがとうございました。
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【歴史的証言・時計編 第3弾】受け継がれるDNA、去った後に届いた「2コイルモーターモジュール」の咆哮と次なる挑戦

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事(【歴史的証言・時計編 第2弾】)では、スマホと繋がるBLE時代の到来、人間の体感に寄り添った高度表示「1/2の魔法」、そして上司や仲間たちのアイデアをみんなで形にした様々な先進デモの記録をお届けしました。
1998年のRuputerから始まった、私の手首の上を巡るエンジニアリングの歴史。今回は、この「時計設計部編」の最終章となります。デジタルとアナログの境界線をハックし続けた日々の結末と、私がこの場所を去った後に届いた、仲間たちからの最高の「恩返し」の物語を書き残します。

1. ビンビン動くデモの裏にあった、1コイルモーターの限界
前回の記事で、スマホのマイクが拾った音のレベルに合わせて、時計の針がオーディオのVUメーターのように「ビンビン」と振り切るスマホ連動デモのお話をしました。
見た目は楽しいデモでしたが、開発した私には、ある「もどかしさ」がありました。
当時のアナログクオーツ時計の内部は、伝統的な「1コイルモーター」で動いていました。この構造では、針を順方向に進めるのは得意でも、逆方向に回しようとすると、どうしても回転スピードが遅くなり、動きがどこか「ギクシャク」と不自然になってしまうという物理的な限界を抱えていたのです。
「もっと滑らかに、もっと超高速に、複数の針を人間の五感にシンクロさせて自在に操ることはできないだろうか……」
ソフトウェア(独自プラットフォーム)側では、いつでもその未来を受け入れるだけのマルチタスク制御の準備はできていました。(と思います。。。)
実は、この驚異的な進化は、私がセイコーを去った「その後」の物語です。
私が在籍していた当時は、この2コイルモーターモジュールは、まだ開発の途中にあり、完成を見ることはありませんでした。私は、その未来を信頼する設計部の仲間たちに託し、次のステップへと進むために会社を後にしたのです。
2. 衝撃の出会い:爆速のモンスター「キャリバー8A50」とスピードタイマーの即買い
私が次の挑戦へと旅立ってから数年後、とある時計の登場に、私は文字通り度肝を抜かれることになります。
それが、スポーツクロノグラフの名機「プロスペックス スピードタイマー(SPEEDTIMER)」のアナログソーラークロノグラフモデル(2023年発売)でした。
その時計のクロノグラフ針が動く姿を初めて見た瞬間、私は強烈な鳥肌が立ちました。
「な、なんだこのスピードは……!? 針が、文字通り手首の上で咆哮を上げている……!」
かつての1コイルの限界やギクシャク感など微塵もない、人間の目では追いきれないほどの爆速で複数の針が全く同時に舞い、そして正確無比にピタッと止まる。その圧倒的な動きを見た瞬間、私はエンジニアとしての魂を激しく揺さぶられ、その場ですぐに実機を購入してしまいました。
このスピードタイマーの心臓部に搭載された新開発ムーブメント「キャリバー8A50」の内部には、なんと「5モーター10コイル」という恐ろしいメカニズムが凝縮されていました。[1/100秒針]、[1/10秒針]、[秒積算計(1/1秒針)]、そして[時分針]という4つの「2コイルモーターモジュール」が完全に独立してダイヤルに配置され、それらが完璧なマルチタスクで超高速シンクロしていたのです。
この時計を手に入れてすぐ、私は中国赴任から帰国した当時の開発仲間と、そしてこの究極の「2コイルモーターモジュール」の生みの親であるハードウェア担当の仲間と、錦糸町で数年ぶりに3人で飲みに行く機会がありました。
お店でめちゃくちゃうまい鳥刺しととろけるような鳥レバ刺しを突っつきながら、私はたまらず、購入したばかりのスピードタイマーを腕に見せながら彼らにこう切り出しました。
「なぁ、この動き……。これって、まさか私が昔作ったあのプラットフォームで動いているの?」
すると仲間は、ニヤリと笑ってこう答えてくれたのです。
「そうですよ!小山さんのプラットフォームを、俺たちがさらに進化させて動かしているんです」
さらに、ハード担当の仲間も本当に誇らしげに、嬉しそうにこう続けました。
「小山さん、スピードタイマーのあのモーターは、自分が作ってたんですよ!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げ、本当に言葉にできないほど嬉しくなりました。
あの時、未完成のまま仲間たちに託したファームウェアとハードウェアの種が、彼らの情熱によってこんな怪物ムーブメントへと化けていた。大企業を去った一人のエンジニアにとって、これほど贅沢で、誇らしい恩返しはありませんでした。

セイコー プロスペック スピードタイマー 8A50
5つある針がすべて独立に動き、ときに連携して動く!!
3. 職人たちのこだわり:ルーツである「メトロノームウオッチ」への驚愕
あまりの完成度に大興奮した私は、この驚異的な「2コイルモーターモジュール」の進化の系譜をさらに遡っていくうちに、もう一つの素晴らしい名機の存在に行き着きました。(てか、先の焼き鳥居酒屋の席で教えてもらいました。)
スピードタイマーに先駆けること2021年、実はこの技術はまず、時計の針がそのままメトロノームとしてテンポを刻む「セイコー メトロノームウオッチ(キャリバーPA50)」として最初に花開いていたのです。
実はセイコーには、本物のメトロノームやチューナーを専門に製造するガチの音響事業部があります。そのプロフェッショナルたちから、仲間たちは開発時にある「本物の条件」を叩き込まれたそうです。
「アナログのメトロノームの針は、等速でパタパタ動いているんじゃない。振り始めはグッと早く加速し、端に行くにつれてゆっくりと減速する。この『角速度の変化』があるからこそ、人間は心地よさを感じるんだ」
仲間たちは、そのアナログの物理法則を、私の作ったプラットフォームの上で見事に完全再現してみせました。ただ針を往復させるだけでなく、信じられないほど緻密な解像度で2コイルモーターモジュールをコントロールし、手首の上で「本物のメトロノームの情緒」を100%再現させていたのです。
それを聞いたときには、これまた「参った……!」と脱帽するしかありませんでした。凄すぎる、のひと言です。
SEIKO MetronomeWatch StartGuide - YouTube
(※実際の針の驚くほど滑らかなメトロノーム運動は、公式のスタートガイド動画の35秒あたりから見ることができます。ぜひその目で職人技の制御を確認してみてください)
スピードタイマーに続いて、このメトロノームウオッチの動画や構造イラストを見た私は、確信しました。「これは、メトロノームウオッチのほうも絶対に買わなければならないぃ……!」と。近々、私のコレクションに加わることは間違いなさそうです。

メトロノームウオッチ – みらい奏楽舎
(※未来奏楽舎ページの下部には、この2つのモーターで針の回転を自在に操る、美しくて分かりやすい内部構造のイラストが掲載されていますので、技術的な中身が気になる方はぜひ覗いてみてください)

数字やスペックを並べるだけでなく、手首の上で「情緒」や「文化」を完璧に表現する。かつて私がRuputerやハイジの時計で目指した「時計屋さんの美学」の原点が、ここにありました。

伝統的な時計設計部で過ごした時間は、私に「ハードとソフトが完璧に噛み合ったときの爆発力」と、「人間の五感に寄り添うモノづくりの大切さ」を教えてくれました。
私が作った独自プラットフォームのDNAは、仲間たちの手でスピードタイマーやメトロノームウオッチという素晴らしい名機へとはばたき、今も誰かの腕で時を刻み続けています。

その時にみんなで囲んだ絶品の鳥刺しと、中国帰りの仲間が腕にしていたメトロノームウオッチ
4. 点と線は、次なる未来の「IoT」へ
私は、スマホと連動して3Dの立体登山ログを描き出すアウトドアウオッチ「プロスペックス ランドトレーサー」の開発をやり遂げた後、次なる挑戦の舞台として、ノバルス(Novars)というスタートアップ企業へと飛び込みました。
そこで私たちが世に送り出すことになるのが、世界初のIoT乾電池「MaBeee (マビー)」です。
おもちゃや家電に入れる乾電池そのものをスマート化し、スマホから電圧をコントロールしてミニ四駆の速度を変えたり、高齢者の見守りを行ったりする、全く新しいIoTの世界。
舞台は腕時計から「乾電池」へと変わりましたが、私の根底にある「限られた小さなリソースの中で、ハードの限界をソフトの知恵とアイデアで超え、世界をワクワクさせる」というモノづくりのスピリットは、Ruputerの開発環境を手探りでデバッグしていたあの28年前から、何一つ変わっていません。
(ノバルスでのIoT乾電池開発を巡る、さらなる熱い冒険のお話は、また今度!)

5. 終わりに:歴史的証言シリーズを読み終えてくれたあなたへ
1998年のRuputer、2001年CESのBluetoothウォッチ、WRISTOMO、アテネでの拘束、残り2バイトの死闘、ソニーMN2、WIMM Labs、探求そして伝統の時計設計部での独自プラットフォームの構築と、スピードタイマーへの継承。
私の歩んできたエンジニア人生は、常に時代の半歩先、一歩先を走り続ける、泥臭くも最高にエキサイティングな旅路でした。
バグに悩み、メモリの壁に絶望し、それでも「繋がった!」という一瞬の歓喜のためにコードを書き続ける。そんなエンジニアという仕事のロマンと楽しさが、この連載を通じて、今を生きる、そしてこれから未来を作る若い世代の開発者の皆さんに少しでも伝わったなら、これほど嬉しいことはありません。
長い連載にお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
皆さんの手元にあるその時計やガジェットの裏側にも、きっと、誰かの熱い執念のコードが眠っています。
(歴史的証言・時計編 完結)

最後までお読みいただきありがとうございました。

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【歴史的証言・時計編 第2弾】BLE時代の到来、感覚を形にした「1/2の魔法」、次の世代へのバトン

こんにちは、Cherry(小山和宏)です。
前回の記事(【歴史的証言・時計編 第1弾】)では、伝統的な時計設計部への異動、古いファームウェアを刷新した「独自プラットフォーム」の構築、そして「アルプスの少女ハイジ」コラボ時計の3台連携デモの裏話をお届けしました。
今回はその続きです。時代はワイヤレス通信の新たな夜明けを迎え、時計はスマホと当たり前に「繋がる」時代へと突入します。その中で私たちが挑んだ、数々の新しいチャレンジの記録を書き残したいと思います。

1. BLEの到来と、持ち上がった「天気連携」の新企画
時計設計部での日々が進む中、テクノロジーの世界には新たな波が押し寄せていました。かつて私がスウェーデンで死闘を繰り広げ、2001年のCESを沸かせたBluetoothが、劇的な省電力を実現した「BLE(Bluetooth Low Energy)」へと進化を遂げたのです。
これにより、一般的な腕時計でもスマホと連携して自動で時刻を合わせることが当たり前の世界になっていきました。
私たちが手がけていたトリプルセンサー搭載のアウトドアウオッチ「アルピニスト」も、このBLEを使ってスマホと連携する進化を遂げます。時計が感知した気圧の変化をスマホに転送し、詳細な登山ログをつくれるようになっていきました。
そんな中、前回のハイジの企画と同じように、社内で新しい企画が持ち上がりました。今度のお題は、アウトドアには絶対に欠かせない「天気情報配信サービスとの連携機能」を持った次世代ウオッチの構想でした。
2. 「平面のログじゃつまらない!」房総半島120kmライドの3Dプレゼン
企画部門から提示された「天気との連携案と行動ログ」という企画。しかし、いままで通り高度のログ画面を作るだけでは、どうしても物足りなさを感じてしまいました。
「気圧で高度がグラフ化できるなら、スマホ側のGPSとさらに連動させて、3Dで立体的に登山やサイクリング、スキーのログを見られたら絶対に面白そうだ!」
自分がユーザーなら「こんな画面が欲しい!」という強烈なイメージが頭の中に浮かび上がってきた私は、それを言葉だけで伝えるのではなく、目に見える形にしてプレゼンに挑むことにしました。本当はスマートフォンアプリそのものを自作して動かしたかったのですが、限られた開発期間の中ではそこまでは叶いません。
そこで私は、サイクリストにお馴染みだった「ルートラボ」で実際に走った「房総半島120kmライド」の走行履歴データをベースに、3Dマップ上に走行軌跡と高低差グラフが立体的に浮かび上がる、独自の「3D完成イメージ画面」を必死に手作りしたのです。画面を指で操作すれば自在に視点と座標(カメラアングル)を変えられる、そんな未来のアプリの姿を1枚のビジュアルに凝縮してプレゼンに臨みました。

房総半島120kmライド
手作りの3D完成イメージ画面

この「平面のログじゃつまらない」というエンジニアのこだわりが生んだ手作りイメージ画面は、自分自身では最高に前のめりだったのですが……当時のプレゼンでは、話が最先端すぎたせいか、周囲からは少し「ポカン」とされてしまったような空気感だったかな、と今では懐かしく思い出します。
しかも、そのこだわりを無理やり形にしようとしたせい(おかげ?)で、プロジェクト全体における開発費はびっくりするほど跳ね上がり、その後のデバッグ作業もとんでもなく大変なことになってしまいました。当時のチームの皆さん、本当にご迷惑をおかけしました……
ですが、そんな過酷な山を現場のメンバーたちと共に全力で乗り越えたからこそ、あの時はポカンとされた3D立体ログの思想が、「プロスペックス ランドトレーサー」という名機へと見事に結実していくことになります。
3. 数値の正しさより「人間の感覚」を:高度表示1/2の秘話
こうして進んでいたアウトドアウオッチ開発ですが、気圧センサーによる高度計測の調整(チューニング)中に、ある課題にぶつかりました。
時計側で気圧の変化を捉えて「今、坂を上っているのか、下っているのか」を数値でリアルタイムに画面表示させるのですが、どうしても上りはじめと下りはじめの瞬間に、数値が「ポンッ」と急激にジャンプするように飛びすぎてしまうのです。
プログラムの計算(アルゴリズム)としては、それが100%正しい数値でした。しかし、実際に手首に巻いて動いている「人間の感覚」からすると、その急激な変化はどうしても不自然で、違和感がありました。
「数字が正しくても、使う人が納得できなければ意味がない」
このウオッチの開発中の帰り道には何度も実機を腕に一駅先まで行き、そこから緩やかな坂道を歩いて戻りながら、センサーの挙動と自分の身体の感覚を擦り合わせるテストを繰り返しました。
そして行き着いた結論が、「上りはじめと下りはじめの数値の変化量を、あえて計算値の1/2(半分)にする」という、独自のフィルター(補正)をかけることでした。数値をわざと鈍らせることで、人間の五感にぴったりとシンクロする、緩やかで自然な高度表示を実現したのです。数値の正しさではなく、時計としての心地よさを選んだ、今だから明かせるモノづくりの秘密です。

残念ながら天気情報の提供は終わってしまった
セイコー プロスペックス ランドトレーサー

デバッグも頑張った
ランドトレーサーアプリ

4. アイデアの実験場と、次の世代へのバトン
この頃の時計設計部は、エンジニアにとって本当にエキサイティングなチャレンジができる最高の実験場でした。ありきたりの機能を作るだけでなく、当時の上司をはじめ、メンバーたちのさまざまなアイデアをみんなで形にしていきました。今見ても驚くような先進的なデモが、次々とこのチームから生まれていたのです。
  • 圧電素子のハック:時計を「トントン」と叩くと、裏蓋にあるアラーム用の圧電素子が振動を感知して、物理ボタンを押さなくても「ラップタイム入力」ができるシステム。当時のアシックスウオッチに搭載。
  • NFCデータ通信のハック:PCにつないだNFCリーダーに載せるだけで正確なラップ記録を自動で残せる部活で重宝するストップウォッチはいまもラインナップにあります。
  • 光通信の実験:文字盤のソーラーパネルに、スマホのカメラフラッシュを特定のパターンで点滅させて当てると、その光信号を読み取って時計の時刻がピタリと合うデモシステム。
  • スマホインターフェース連動デモ:スマホのマイクが拾った音のレベルに合わせて時計の針がオーディオのVUメーターのように「ビンビン」と振り切るように動く、そんな楽しい連動デモも作りました。
このようにハードウェアとソフトウェアの新しい可能性が次々と形となり花開いていくのを見るのは、エンジニアとして、本当に言葉にできない喜びでした。

5. 終わりに
伝統の時計づくりの現場で、最先端のBLE通信やセンサー技術、そして人間の「感覚」を形にするチューニングに挑んだ日々。時計設計部での開発は、数字を追うだけのプログラミングではなく、手首の上のデバイスがいかに人間に寄り添えるかという、ものづくりの原点を教えてくれました。
しかし、私たちの時計への情熱と挑戦は、まだまだ止まりません。
かつて古いファームウェアを刷新して作り上げた、「独自プラットフォーム」が私一人の手から離れ、時計設計部の素晴らしいメンバーたちの手によって、さらに驚くべき進化を遂げていくことになります。。
次回、【歴史的証言・時計編 第3弾】へ続きます。次なる驚きのギミックや、さらに限界を攻める開発ストーリーを、ぜひお楽しみに!

最後までお読みいただきありがとうございました。
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